こどもたちの日常と母のひとりごと。息子は軽度アスペルガー。

【過去のブログから】父、発症から最期まで(3)

閉鎖した前のブログに書いてた「父の最期」を
こっちのブログに残しておこうと思います。
(父は2014年10月20日に脳梗塞で亡くなりました)

ヘタに手を加えたくないので子供の名前以外は当時の投稿そのままです。
時系列がおかしい部分もありますがご了承ください。

【過去のブログから】父の脳梗塞、経過
【過去のブログから】父親の死
【過去のブログから】父、発症から最期まで(1)
【過去のブログから】父、発症から最期まで(2)
【過去のブログから】父、発症から最期まで(3)★この投稿です

 

 
父が脳梗塞を起こしてから亡くなるまでの経過を
覚えてる範囲で綴っています。

記憶が薄かったり又聞きの内容もあるので、
事実と異なってる部分があるかもしれません。

 
10月20日(月)

この日は仕事。
病院には行かないつもりでした。

晩ご飯は簡単に作れてストック出来るメニューにしようと
夕方家に帰ってから急いでハヤシライスを作り、
私より少し遅く帰ってきた妹も一緒に晩ご飯。

食べ終わると片付けやお風呂の用意をして
妹がいる事以外は通常の平日の流れでした。

そんな時。
20時ぐらいだったかな?

私が洗い物をしてた時、
妹の携帯に母から「心臓が止まりそう」と電話が入りました。
(後で見ると私にも着信があったけど携帯放置してた)

お風呂に入る直前でよかった…

幼児連れというのはあれこれ荷物が必要だったりするので
必死で考えたけど静かにパニック。

いつかこういう時がくるとわかってたはずだけど
漠然としすぎてて何の準備も出来てなかった!

 
うちから病院までは少し距離があるので
到着したのはたぶん21時頃。

病室に入るとモニターは「0」でした。
 

母から何の連絡もなかったので
普通に看取る事が出来るんだと思ってたのでびっくり。
看護師さんに聞くと20時頃に心臓が止まったらしい。
父の手を触るとすでに少し冷えてきてました。

母も静かにパニクってたんだろう…
あまり把握してない感じでした。
 

この時の時間の流れはあやふやだけど
21時15~20分頃、医師の死亡確認。

瞳孔見て、心音聞いて、時刻と死亡を告げる。
テレビで見た事がある光景そのまんますぎて
「どっかで見たな、これ」と冷静に思ってました。

おばーちゃんがまだ到着してなかったので
そのままにして一旦看護師さんたちには下がってもらったけど
やっぱり呼吸器は外してあげたかったので
再度看護師さんを呼んで身軽にしてもらいました。
 

その後、何人かの身内が到着。
 

しばらくして医師からの説明がある為
母、父の妹(私の叔母)、妹、私で別の部屋に移動しました。

搬送から亡くなるまでの経過の説明です。

一通りの流れは知ってたものの
改めてPCのモニタで画像を見ながら説明を聞く。

これまでは「悪いほうに悪いほうに転がっていった」と思ってたけど
小脳で起こった梗塞自体は元々悪い状態だったようで
血管造影の画像を見ると小脳の太い血管が完全に遮断されてました。

命の危機に陥ったのは脳浮腫による圧迫で
脳幹に致命的なダメージがあった事ですが
元となった小脳梗塞自体も軽いものではなかった事に少しショック。

まぁ、私が思い込んでただけの話です。
いきなり倒れたわけでもないし意識が飛んだわけでもないし
自発呼吸もあるし~というのが楽観的に考えてしまった原因かも。

あと、結局脳梗塞を起こした原因はわかりませんでした。
動脈解離、もしくはどこかの血栓が飛んだのかなーという憶測程度。

 
解剖の話も出たけど、母も叔母さんも拒否してました。
私も意見を求められたけど一応拒否。

個人的な意見としては絶対反対というわけじゃないけど
おばーちゃんの気持ちを考えるとそんな事はできないな、と。

原因を知りたいけど、そっとしてあげたい気持ちもあって
反対とも賛成とも言えない微妙な気持ちでした。
原因がわかったところで時間は戻らないし。

 
命がもう長く続かない事はわかってたので
入院中母が葬儀場の手続きを済ませてて
この後は葬儀場に移動する事になりました。
自宅に連れて帰る人もいるけど、あえて帰らない事を選択したとの事。

まぁ、実家は不便だから何かと面倒だし
1階の和室が物置になってるので寝かせる場所もない。

ちなみに物置と化してしまった原因は父本人です。

 
当初は私と妹も一緒に行くつもりだったけど
子供が3人いるし、終電の時間もあるので結局一旦帰る事に。

夜遅い駅は肌寒いし電車が少ない。
まだまだ現実味がなく夢の中にいる感覚で電車を待ってました。

 
そしてお通夜は翌日に決定。

 

10月21日(火)

今こうして書いてると「あぁ、あの日は火曜日だったのか」と
曜日の感覚がまったくなくなってた事に気付く…。

午後に葬儀場に向かった気がするけど
道中の事とかぜんぜん思い出せないなぁ。
葬儀場は広くてキレイな場所でした。

中に入って、控室みたいな和室まで行くまでが遠くて
「まだ先?!」と何度も思った覚えが。
奥行きがすごいし、けっこう豪華。

おじーちゃんとおばーちゃんの葬儀の時は
「よくある会館」みたいなフツーの場所だったので
「結婚式かと思ったわ」とふざけて言ったほど(笑)

間取りはこんな感じ。
赤く印を付けたゴールのお部屋は一見小さく見えるけど8帖です。

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そして一番びっくりしたのはキッズルーム!
見た瞬間「IKEA!」と思ったお部屋。

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やはり小物のタグにはIKEAのロゴ。
写真にはちゃんと写ってないけど壁にはかわいいライトも3~4個ついてて
カラフルで子供心くすぐるお部屋でした。

2段ベッドの上から。

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2人ともこの部屋に大興奮!
2日間で相当遊びました。

上の段で押し合いのケンカをしたり
飛び降りたりもしてちょっとヒヤヒヤしたけど…。

うちの家の余ってる1部屋は難アリな部屋なので
いつか高さを利用してこんな部屋に出来たらな~と思ったりも。
 

おやつとして出されたパンもかなりおいしく、
スタッフも優しく丁寧でいい葬儀場でした。
人におすすめするもんでもないけど、おすすめ(^ー^;)

祭壇もすごくキレイでした。
昔馴染みの「白黒」な感じは一切なく、上品でスタイリッシュな感じ。
時代なんですかね?

私は「自分の葬式に金なんぞ使いたかねぇ!(=適当にやっとくれ)」な人だけど
ちょっと考え方が変わったかも?
こうして見送る側に立つとキレイな祭壇には心癒されるし
「立派にしてもらえてよかったね」と思いました。

葬儀の時もライトアップというか、
間接照明的な演出が場面場面であったり。
 

そんな感じでお通夜・告別式と進んでいきました。
その時の事は10月23日投稿「父親の死」で書いてます。
なんか時系列も繋がりもむちゃくちゃですが(^▽^;)
 

今回「納棺」というものを初めて見ました。
その前に「湯かん」というものもあったそうですが
子供を放っておけないから立ち合わず。

洗うんですかね?
詳しくわからないけど、そんな感じの事を言ってた気がします。

納棺はお茶の葉を入れたり、何かの葉っぱを入れたり、
その他いろいろ入れるもの全てに理由があって「ほえ~」という感じでした。

宗教によっても違うみたいだけど
無知なので何のこっちゃさっぱり。

宗派は「浄土真宗本願寺派」だそうですが
(初めて知った)
浄土真宗までは聞いた事がある単語だったけど
「○○派」とかあるんかい!とちょっと衝撃でした。

 

納棺ではコムギとユッチも一緒にお手伝いしてくれたけど
2人ともまだ人の死というものを理解してないので遊び感覚。
コムギはしつこくやりたがってました(^ー^;)

よく「安らかな顔」とか「眠ってるだけみたい」って言うのを聞くけど
ほんとにそんな感じで、病院で亡くなったばっかりの時とはぜんぜん違いました。

ファンデを塗られるなんて、62歳にしてこれが初だろうなぁ(笑)
あまり身ギレイにするタイプじゃなかったので
普段よりいい感じに仕上がってました。

そして何より花が似合わない…(=n=;)

 

葬儀の日の最後のお別れの時は孫3人の写真を入れました。
うちはぜんぜん現像をしてないので
慌ただしい中PC内の写真を選んで、
ついでに妹の携帯に入ってた姪っ子の写真も一緒に印刷。

1枚は父&コムギ&ユッチでキャベツを収穫してる写真ですが
写真に写ってる服と最後に着せられてた服が偶然にも同じ!

一番よく来てた服なんだろうけど
帽子まで同じだったので笑ってしまいました(^▽^;)

 

最後に時間はさかのぼって手術の日の事。
待つ場所は手術室周辺ではなく病棟の談話室で
終了を知らせる方法はアラームが鳴る小さな機械でした。

それがもうフードコートのアレそのまんまで…

ごはんが出来るのを待つ軽さと、
手術が終わるのを待つ重さ。
状況は違えど、ついつい目をやってしまうあの機械…
何とも不思議な気分でした。

 
という事で長くなりましたが、
以上で父の入院から最期までの話は終わりです。

 

以上、閉鎖したブログからの移設でした。

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