こどもたちの日常と母のひとりごと。息子は軽度アスペルガー。

【過去のブログから】父、発症から最期まで(1)

閉鎖した前のブログに書いてた「父の最期」を
こっちのブログに残しておこうと思います。
(父は2014年10月20日に脳梗塞で亡くなりました)

ヘタに手を加えたくないので子供の名前以外は当時の投稿そのままです。
時系列がおかしい部分もありますがご了承ください。

【過去のブログから】父の脳梗塞、経過
【過去のブログから】父親の死
【過去のブログから】父、発症から最期まで(1)★この投稿です
【過去のブログから】父、発症から最期まで(2)
【過去のブログから】父、発症から最期まで(3)

 

 
父が脳梗塞を起こしてから亡くなるまでの経過を
覚えてる範囲で残しておこうと思います。

「父の脳梗塞、経過」で書いた内容と重複する部分があるかもしれないけど
日にちを追って書いていきます。

あと、記憶が薄かったり又聞きの内容もあるので、
事実と異なってる部分があるかもしれません。

 
10月13日(月・祝日)

母から聞いた話ですが、
台風で家にこもってたこの日
自分でお餅を焼いて食べたりフツーに過ごしてたけど
午後から調子悪そうにしてたらしい。

そのうち何度も吐いてロレツが回らなくなり夕方救急車を要請。
河内長野市にある国立の病院に搬送されました。
ちなみにこの時意識はありました。

今回初めて知ったけど、以前高血圧で救急車を呼んだ事があるらしく
その時はかかりつけ医(だったかな?)に怒られたんだそうな。
なので救急車を呼ぶ事に躊躇いはあったみたい。

父は家庭内であまり感情を出さず
体調不良を訴えるタイプではないので
その時はそれなりの危機感を感じたんだとは思いますが…

この後、夜に母から入院の知らせが入るのですが
そこから14日までの出来事は「父の脳梗塞、経過」で書いてます。

 

10月14日(火)

上記の理由で経過は省略。

手術中、この事をおばーちゃん(父の実母)にどう伝えたらよいか
父の妹夫婦と母と私で相談しました。
17日(金)にみんなで旅行に行く計画を立ててたので隠し通す事は出来ない。
でもおばーちゃんは心も体も弱いのです。

心臓も悪くて手術をしたばかり。
(しかも1ヶ月後に手術前の状態に戻ってしまった)
血圧も高く、悪い知らせでおばーちゃんのほうが逝ってしまいそうという不安。

みんな隠す事ばかり考えてたけど
私は最初知らせるべきだと言いました。

いつ何があってもおかしくない状況だったし
隠し通せるもんでもないと思ったし
我が子の状態を知らないままなんて自分だったら絶対イヤだと思ったので。

でもおじーちゃんが癌で入院してる時に病院で倒れた事があるそうで
おばーちゃんの体の状態を考えると「言えないな…」と気持ちが変わりました。
(おじーちゃんは私が高校生の頃、癌で他界しました)

 
まず1つめに上がった案は「検査入院」案。

あくまでも軽~い感じで。
でも「入院」と言ってしまうと「絶対行く」となるのが問題。

術後は薬で眠らせたまま人工呼吸器を使うと聞いてたので
そんな状態を見てしまうとタダ事じゃないのは一目でわかる。
しかもICUだし。

で、却下。
 

次に上がったのは「高血圧で運転できない」案。

とりあえず旅行が中止になる理由を探せばよかったので
「運転出来ないから中止」という話に持っていこうと。

しかし絶対家に電話かかってくるよね?
例え「寝てる」とか「体調が悪い」と誤魔化しても
そんなのが通用するのは1度か2度。

電話口に出ない、折り返し掛けてこないとなると
絶対おかしいと思われる。

あと、母の演技力が問われます。
こんな大変な状況でそんな演技が出来るのか?
突然の事で現実を受け入れられない母の精神状態もギリギリなのに。

4人で考えても考えてもさっぱり出てこない案…
結局、入院とか大げさな単語は出さずに
「運転できない」でしばらくやりすごそうという事になりました。

 
10月15日(水)

この日は普通に出社。
しかし会社に着いて1時間もたたないうちに母から電話があって
「脳幹がダメになってる」「もう助からない」という知らせを聞く。

本来面会は午後からしか出来ないので
母も午後から行くつもりにしてたけど
朝病院から電話で呼び出されたらしい。

かなりショックだった。
心配しつつもどこか大丈夫だと思ってたんだろうな。

冷たいぐらい冷静に「そうか」と返事したものの
「は?何言ってるん」と言いそうなほど現実味がない。

会社の外のフロアで電話してたので
「早退せんとな」と社内に戻ろうとしたけど
涙が出てきてしまって数分戻れず。

「よし!」と気合入れて気を引き締めて
何事もなかったかのように社内に戻って事情を説明しようとしたら
ある程度状況を察知してくれた隣のデスクの人(3つ年下の女性)に
「大丈夫ですか?」と聞かれて結局社内で涙が出てしまう…

会社で泣くなんて私的にはありえない事だけど
突然の気遣いにやられてしまいました。
恥ずかしい。

 
そしてとりあえず病院に向かう。

 
到着すると内緒にしてたはずのおばーちゃんが来てました。
こうなったらもう言うしかないもんね…

気を引き締めたつもりだったけど
泣き崩れながら「おかーちゃんって呼んで」と
言い続けるおばーちゃんを見てるとほんとにつらい。

我が子を見送るってどんな気持ちだろう。
年齢は違っても、自分に置き替えると
私がコムギを見送るという事なので考えただけでもおそろしい。
我が子を失う事以上につらい事ってないと思う。

 
父の妹夫婦や他の親戚も来てたので
途中でおばーちゃんを食堂に連れ出しました。
何があっても人間食事は大事なので。

ここでも「死にたい」「生きてたっていい事ない」と言い続けるおばーちゃん。
おばーちゃんは45年くらい前に長女(父の姉)を白血病で亡くしてるので
その時の事を思い出すと言って余計落ち込んでました。

受け入れられない気持ちはわかる。
でも…

生きてていい事もいっぱいあったよね?
孫にも曾孫にも会えたし
楽しい事もいっぱいあったよね?

というような事を言いながら
「おとうさんもがんばってるのにそんな事言ったらあかんで?」と
必死に励ましてました。
残酷な現実だけど気をしっかり持ってほしかった。

自分もつらい時に人を励ますのはすごく精神力がいる…

お見舞いに来てくれた方を少し悪く言う事になるのであえて控えるけど
母も精神面が不安定でいろいろありました。

 
そして夕方になって妹夫婦も関東から到着。

妹は6月に第一子を出産したので生後4ヶ月前の赤ちゃん連れ。
正月に会うはずだった姪っ子と発対面を果たしました。

まさかこんな形で会うとは…と思ったけど
かわいいもんはかわいい。
たまらん。

むちむち、ふにふに。
髪の毛がない!(コムギ&ユッチの時より少ない)

 
今回姪っ子の存在はかなり大きかったと思います。
こんな状況でも母やおばーちゃんは赤ちゃんを抱っこすると笑顔になってました。

アニマルセラピーじゃないけど、
そんな感じの効果があったんじゃないでしょーか。

コムギとユッチはもう癒し系じゃないどころか自由奔放すぎるので
しばらく一緒にいるとみんな「(^▽^;)」←こんな感じになります。

特にコムギ…

お盆と正月に会うだけならおりこうさんで褒められまくりだけど
長く接して実態を知ってしまうとねぇ。

いつもは主役で構ってもらってご機嫌だったけど
今回は状況的にそういうわけにいかないし
赤ちゃんという最強のライバルもいるしね。

 
個室の中にいるとそこだけの世界だけど
病棟の廊下を歩いてるとどうしても大部屋が目に入る。
それがなんだか違う世界に見えて不思議な気分でした。

脳関係の病棟なのでもちろんみんな大変な状況だけど
食事出来てるのがうらやましい、
リハビリ出来るのがうらやましい。
意識あるのがうらやましい。

父もこの中の1人になるんだと思ってたのにな。
あっち側にはもう行けないんだな…と無意味にぼんやり考えたりしてました。

 
(2)に続きます。

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